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今年の終わりに [臨書/百人一首]

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【百人一首-100】
ももしきや 古き軒端のしのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
順徳院

【本文訳】
毛ゝしきや 古幾軒端のし能布耳も
奈奉あまりある 昔奈り介里

【内容訳】
宮中の古く荒れた軒から下がっている忍ぶ草を見るにつけ、
しのんでもしのびつくせないほど思い慕われてくるのは
古きよき時代のことよ。

前にも書いたように、百人一首は時代順にならんだ歌となっていて
この歌が詠まれたのは鎌倉幕府が成立してしばらくした頃。
貴族の時代はすでに終わっており、宮中が華やかだった昔をしのんで歌われた歌となっています。

とうとう最後の一首が終わり、2年にわたって続いた百人一首の臨書もこれで終了です^^
本当はもっと短い期間に書き上げようと思って始めたものだったのですが…^^;
あれやこれやとこなさなければならない課題も年々多くなり、
マイペースの進み具合となりました^^;
でも、いつもの古典の臨書の全臨よりも何故だか想いは複雑です。
それは百人一首への想いもさることながら、普段のお稽古では出来ない仮名の練習という事もあって
普段以上に悩み、これでいいのかと自問自答しながら書き進めた事もあるかもしれません。
そしてそれが終わってしまった事の寂しさもあります^^
でも、臨書は終わってもそれはまた新たな始まりの意味でもあります。
来年はまた違った形で仮名の方の修行も怠らずにいけたらと思っております^^
長きに渡りお付き合いくださり、心優しいコメントを残してくださった方々、
そしてコメントは残さずとも覗きに来てくださった方々に
心からお礼申し上げますm(_ _)m

…そして、毎年恒例にしていた事をもう一つ思い出しました。
それは「今年の一字」です〜^^
清水寺で発表される今年の一字、今回は「暑」だったそうですね。
毎年私も自分の今年の一字を書いていたのでした。
それは今年の自分を振り返る意味でとても有意義なものだったので
年末押し迫っておりますが、今回もゆっくりと考えてみました。

mayoi.jpg

今年はとにかく決断や判断に迷った一年でした。
一番は母の体調不調によるもので、今までの人生の中で
これだけ色んな判断をしなければならない事があっただろうかと思うほど
大きな事から小さな事まで、迷いに迷いました。
今もそれは続いている事ですが…今年を振り返って一番思い出す事はそればかりです。
その他、自分自身の事…仕事や生活の中での事、そして書に関しても
思えば迷ってばかりの一年だったかも^^;
…そんな訳で、今年の私の一字は「迷」に決定です(笑)

自分の事だけでなく、私の家族にとっても正直今年はあまり良い年とは言えない年でした。
けれど生きていればそんな年もありましょう。
どんな時も自分の中に乗り越えようとする気持ちがカケラでも残っていたなら
きっとどんな形であれやっていける、何か手だてが見つかるはず…そう信じています。
そしてあまり良い年とは言えない中でも一つや二つは何か良い事もあったはずなのです。
悪かった事ばかりに目を向けるのはやめよう、そう思いながら今年はやってこれた気がしています。
来年は今年よりもあと一つ二つ良い事が増える年になってくれますように^^

今年も色んな形で関わってくださったみなさま、本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い致します。

よいお年をお迎えください〜!

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こころやさしきひと [臨書/百人一首]

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【百人一首-98/左】
風そよぐ ならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆(じゅにいいえたか)

【本文訳】
風そよく 奈良の小川の夕暮は
三楚支そ夏のしる志なり介類

【内容訳】
風がそよそよと吹いて楢(ナラ)の葉をそよがせている。
この、ならの小川の夕暮れは、すっかり秋のように涼しいが
水無月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが、夏であることのしるしであるよ。

【百人一首-99/右】
人もをし 人もうらめしあぢきなく
世を思ふゆゑにもの思ふ身は
後鳥羽院

【本文訳】
人毛をし 人裳うらめしあち支那く
よを思不故二物お无ふ美八

【内容訳】
あるときは人間がいとおしく、またあるときは恨めしくも思われる。
つまらないと世の中を思うゆえに、思い悩んでしまう私は。


今回の二首は季節の歌と人生の歌…と言えばいいのでしょうか。
98の歌に出てくる「みそぎ」(水無月祓)というのは6月末に行われた行事で
罪や汚れを祓うため、川などで水を浴びて身を清めることだそう。

99の歌は自分の心の内を見つめた歌で
私自身、そんな風に思う事もしばしばなので…共感出来る歌です。
人を想う故に時に恨めしく感じたり…きっとみんなそうなのかもしれませんね。
色んな人がいるからこそ心穏やかになれたり、また反対に心かき乱されたりすることもしばしば。
けれど私は心穏やかになれる人たちが周りにたくさんいてくれるから、
今こうしている間も何となく落ちついた気持ちでいられるんだと思っています。
いつも心かき乱される人と一緒では日々落ち着いて生活することも出来ない気がして^^;
周りにいてくれるそんな心優しき人たちに、ホントに感謝しています^^

…さて、百人一首も残すところあと一首となりました^^
キリよく今年最後の更新が百人一首の締めくくりになりそうな感じです(笑)
皆様、クリスマスは楽しく過ごされましたでしょうか^^
クリスマスが過ぎるとあっという間にお正月のカラーに染まりますね。
年末年始、元気に迎えられるように
今年の疲れを残さないようにしてくださいね!

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愛で満たして♪ [臨書/百人一首]

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【百人一首-96/左】
花さそふ 嵐の庭の雪ならで
降りゆくものは 我が身なりけり
入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)

【本文訳】
花さそふ あらしの庭の雪奈ら氐
婦利行くもの八 わ可身奈り介利

【内容訳】
桜の花を誘って散らす嵐が吹く庭。
雪のように花びらを散らしているが、
老いて古(ふ)りゆくのは、実は我が身なのだなぁ。

【百人一首-97/右】
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)

【本文訳】
こぬ人を まつほのうら農遊ふ奈支尓
やく耶藻塩能 身もこ可れつゝ

【内容訳】
来てはくれない人を想って
あの松帆の浦の夕凪の海辺で焼いている藻塩のように
私の身は恋い焦がれているのです。


左の歌は老いていく我が身を想い詠った歌。
雪のように舞う桜の花の風景が目に浮かびます。
桜を詠った歌はたくさんありますが
散り際を見ると何故か切なくなりますよね…それは今も昔もみな同じという事ですね。
日本人が桜をこよなく愛するのは昔からの事で、きっとそういう風に心に組み込まれているのでしょう^^
この歌も、そんな気持ちが老いてゆく自分の身と重なったのでしょうね…わかります^^;

右の歌は恋の歌。
作者の権中納言定家は百人一首の撰者、藤原定家のことです。
藻塩は海草に海水を浸けて乾かしてから水を混ぜて煮詰め、とった塩のこと。
藻塩を焼くように恋い焦がれる気持ちを詠った歌になっています。
来ぬ人を…というのが何とも切ない響きです;;

世間ではあと数日でクリスマス^^
来ぬ人を待つ人もいれば、温かな温もりの中でほんわか過ごす人…
色々いらっしゃる事でしょうね。
うちは昔からあまりそういうイベントのない家なのですが(笑)
毎年ケーキとチキンくらいは食卓に並びます^^
色んなご家庭でイルミネーションを飾っている所もたくさん見かけました。
人それぞれ、様々な形でクリスマスを過ごされるんだろうな〜と
そんな事を思ったら、ろうそくの灯火のような
ほわ〜んとした温かさに包まれるような感覚を覚えました^^
外が寒い分、人と人との温もりで温まる…そんなクリスマスにしたいですね。
皆様もそんな愛でいっぱいの時間を過ごされますように♪^^

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今を語るものたち [臨書/百人一首]

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【百人一首-94/左】
み吉野の 山の秋風小夜ふけて
ふるさと寒く 衣うつなり
参議雅経(さんぎまさつね)

【本文訳】
三よし能ゝ やまの秋可世小夜不遣亭
ふる佐と寒具 衣宇川奈り

【内容訳】
奈良の吉野山に秋風が吹きわたり、夜がふけた。
かつての都は寒々とわびしく、衣を砧(きぬた)で叩く音が聞こえてくるよ。

【百人一首-95/右】
おほけなく 浮世の民におほふかな
わが立つ杣に 墨染めの袖
前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

【本文訳】
おほ希奈く 憂幾よ乃民尓於奉布可那
王可多つ杣二 墨染のそ亭

【内容訳】
身の程もわきまえないことだが、
このつらい浮世を生きる民たちに覆いをかけてやろう。
この杣(比叡山)に住みはじめた僧の私が身につけている墨染めの袖で。


今回は珍しく二首とも恋以外の歌です^^
94はかつて栄えていた吉野が古び、今は衣を打つ音だけが響いている…と歌っています。
衣を打つのは布を柔らかくするためで、繊維が広がって暖かく着られたのだとか。
冬支度にこれをしたのだそうです。
95の歌は戦乱で都が荒れ…そんな激動の時代に詠まれた歌で
舞台は天台宗を開いた最澄がいた比叡山。
若い僧侶が開祖最澄の意志を継いで、民の救済をする事が使命と歌った
意味の深い歌になっています。

百人一首は約600年間の間に詠まれた歌が1から時代順になっているので
歌の内容でその時代を垣間見る事が出来たりするんですね。
素朴な歌が流行ったり、女性の活躍する時代があったり、
戦乱の不安定な時代に詠まれた歌もあったり…
そんな事にも注意して見てみると、また違った一面を垣間見る事が出来ます^^
考えてみると、こういうものがずっと残っているってすごい事なんですよね。
これから何百年も経ったら…今創られている色々なものたちが
そんな風に後の人たちにものを語る時がくるんでしょうか…
願わくば、その時代に流れる空気がとても穏やかなものでありますように…

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創作への道 [臨書/百人一首]

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【百人一首-91/左】
きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに
衣片敷き ひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣

【本文訳】
き利ゝゝす 鳴く耶志毛よの寒しろに
衣か堂し支 日と利可も年無

【内容訳】
こおろぎが鳴いている。
霜の降る寒い夜のむしろの上に衣の片袖を自分で敷いて、
ただ独り(さびしく)寝る事になるのだろうか。

【百人一首-92/中】
わが袖は 潮干に見えぬ沖の石の
人こそ知らね 乾くまもなし
二条院讃岐

【本文訳】
わ可袖者 潮干二見盈ぬ沖のいしの
人こ楚し良年 可王くまも奈し

【内容訳】
私の袖は、引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のようだ。
あの人は知らないだろうが、涙に濡れて乾く間もないのです。

【百人一首-93/右】
世の中は 常にもがもな渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣

【本文訳】
よの中八 つね尓も可も那奈支さこ久
阿ま農小舟の 綱手か奈し母

【内容訳】
世の中の様子が、こんな風に永遠に変わらずあってほしいものだなぁ。
波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟の、引き綱を引いてゆくようなごく普通の情景は、
しみじみと心に沁みることであるよ。


残り10首となった百人一首。
今年の残すところもあとわずか。間に合うように急いでUPしていきます^^;

今回も2首が恋の歌で一首が情景を詠った歌です。
91の歌は一人寝の寂しさを詠った歌で、きりぎりすは今で言うこおろぎの事。
昔、恋人同士が寝る時にはお互いの袖を敷きあって寝たのだそうです^^*
それをこの歌では自分の袖を敷いて寝る(片敷き)…つまり一人寝のことを言っているわけですね^^;
そんな寒々とした時に聞こえるこおろぎの声…切なすぎます(笑)
92の袖を濡らす…これは昔の歌によく出てくる表現ですね。
今までも何度か出てきたように記憶しています。
海の中にある石に例えるというのは面白い発想ですけどね^^;
93の、変わらないで欲しいと思う風景って今もありますね。
それは珍しい特別なものじゃなくて、普段目にする当たり前の光景だったりするのかもしれません。
色んな事が複雑に、そして足早に変化する時代。
だからこそ余計に何でもないいつもそこにある風景がとても愛おしく感じたりするのでしょう。

…というわけで、ちょこっと急ぎめに解説しちゃいましたが^^;

そう言えば、先日の日記に書いた、見に行った展覧会で
百人一首を書かれている作品があったのを思い出しました。
紙の大きさは忘れましたが、半切か全紙くらいの大きさだったかな〜。
100首びっしり書かれていたんです^^;
100首書くのに(しかも臨書で)2年越しの私なのに(笑)
作品1枚に100首全部とは!^^;
一体どれだけ練習して仕上げたのだろう…
今こうして臨書を書きあげようとしているだけに、何となく人ごとに思えなくて(笑)
あんな風に作品にするのもアリなんだな〜って思いながら帰ってきたのでした。
今年臨書を書き上げた暁には、来年はまた1に戻って
今度は創作に挑戦しようかと思っているわたし。
かなり無謀な挑戦ではありますが^^;
仮名は独学なので、自分で何とか一歩ずつ歩いていくしかありません。
臨書で2年だったから…創作にしたら何年かかることやら〜^^;
でも、いつか自分で100首を自作して、何か作品として残せるものを仕上げられたらいいな^^
…やることがありすぎてどうしよ〜って感じですが(笑)

とにかく、まずは残りの分を片付けましょうか^^
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです^^*

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大泣きするワケ [臨書/百人一首]

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【百人一首-89/左】
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
式子内親王(しきしないしんのう)

【本文訳】
玉の緒よ 多盈奈八たえね 奈可ら遍盤
しの婦留こ登の 与わりも處す累

【内容訳】
我が命よ、絶えるのなら絶えてしまえ。
このまま生き長らえていると、堪え忍ぶ心が弱まり、
あの人への恋心が外に現れてしまうと困るから。

【百人一首-90/右】
見せばやな 雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし 色はかはらず
殷富門院大輔(いんぶもんいんのたいふ)

【本文訳】
三せ八や那 をしまの阿万能曽てた尓も
ぬ麗耳そぬれし 色は可盤ら春

【内容訳】
あなたにお見せしたいものです。恋い焦がれて涙を流しすぎたために
血の涙の色に染まってしまった私の袖を。
松島にある雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶって濡れに濡れても
色までは変わらないというのに。

今回も二首とも恋の歌です。
こう見るとやっぱり恋の歌って多いですね^^*
89の玉の緒というのは玉を貫いている紐の事で、
玉が魂に通じていると言われている事から、いのちや生命という意味を指します。
命が絶えてしまえと思う程に内に秘めておかなければならない恋心…
今はそんな忍耐強い人ってなかなかいないでしょうね^^;
昔の人は心に抑えたままで想い続ける…なんて事もたくさんあったのでしょう。
抑えなければいけないと思うからこそ、余計に気持ちが募ってしまう…
それが複雑な人の心情ってものでしょうか^^
90の歌はちと怖いような^^;
恋い焦がれて血の涙を流すほどに想い慕っているのですよ…と
血の涙…って^^; 
こんな風に言われた男性はちょっと引いてしまうのではないかしら(笑)
そのくらい、想っているのですよ〜という事なんでしょうけれど^^;
人生の中で、本当に大泣きして、もうこれ以上涙なんて出ないよって思った事が
一度か二度くらいありましたが…それでも血の涙が出るとまでは感じなかったなぁ(笑)
まだまだ、泣きが甘かったって事でしょうか〜^^;

何はともあれ、今後大泣きする時が来るとしても…出来れば嬉し涙であって欲しい私です^^*

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行きずりの恋の結末は… [臨書/百人一首]

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【百人一首-86/左】
嘆けとて 月やはものを思はする
かこち顔なる 我が涙かな
西行法師

【本文訳】
嘆けと氐 月や八もの遠思者春累
かこ知顔奈る わ可な三堂可那

【内容訳】
「嘆け」と言って、月が私に物思いをさせるのだろうか?
いや、そうではない。
恋のせいだというのに、まるで月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。

【百人一首-87/中】
村雨の 露もまだ干ぬまきの葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮
寂蓮法師

【本文訳】
村雨の露毛ま多飛ぬま起の葉二
霧立ち能奉留 秋の夕暮

【内容訳】
にわか雨が通り過ぎ、その滴もまだ乾かないうちに
杉や檜の葉の茂りから、早くも霧が立ちのぼっている秋の夕暮れであるよ。

【百人一首-88/右】
難波江の 蘆のかりねの一夜ゆゑ
みをつくしてや 恋ひわたるべき
皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)

【本文訳】
難波江の あし能可利年農一夜ゆゑ
身越つくしてや 恋和多る邊支

【内容訳】
難波の入り江の芦を刈った根っこ(刈り根)の一節(ひとよ)のような
たった一夜(ひとよ)だけの短い仮寝(かりね)のために
澪標(みおつくし)のようにこの身を尽くして恋いこがれ続けることになるのでしょうか。


引き続き百人一首です^^
今回は恋の歌二首と情景を詠った一首です。
まず86の西行法師の歌。
西行法師は月と桜を愛した人で、他にも多くの月の歌を詠んでいるそうです。
昔から、月には色々な想いを感じる人が多かったのですね…。
この歌も、月を見て恋の悩みが一層高まる気持ちを表しています。
見ているだけで何だか泣けてくる…そんな不思議な力が月には宿っているようですね^^

真ん中の87の歌はとても美しく幻想的な風景を思わせる歌です。
村雨というのは秋のにわか雨の事で、日本には古くから雨にまつわる言葉というのがたくさんあるんですね。
雨が降った後の木立などからもやが立ち、なんとも幻想的な雰囲気になる事がありますが
この歌はそんな情景を詠った歌と思われます。
確かに、雨上がりに幻想的な風景に出逢う事って多い様な気がしますね。
普段雨をよく思わない様な傾向にありますが^^;
日本の美しい風景の一つとして見てみれば、大切にしておきたいシーンの一つかもしれません^^

最後の88の歌は掛詞がいくつか使われた歌になっています。
…一夜限りの行きずりの人を恋しく思ってしまう気持ちを詠った、何とも切ない歌^^;
人との関係は何度も逢って話をして、うち解け合って段々に築いていくものと思いますが
それとは裏腹に、たった一度きりの事で、相手がどんな人かもわからぬうちに何か感じるものがあって、
その後も想い続けてしまう…なんて事が起こるのも、また人間の不思議な所でもあります。
人の気持ちって本当に自分ではどうにも出来ない時があるから困ったものですね^^;
相手が同じように想ってくれている場合はいいですが…多分こういうシュチュエーションの場合
それはかなり望み薄な感じがします^^;
お互いの住んでいる世界が違う場合だってある…そんな時はきっと哀しい結末が多いのでしょうね…。
この歌の時代には遊女が多くいたそうで、そんな女たちの立場から詠んだ歌とも言われていますが…
こんな経験、したことある方ってもしかして結構いらっしゃるのかしら?^m^

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振り返れば [臨書/百人一首]

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【百人一首-83/左】
世の中よ 道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのたいふしゅんぜい)

【本文訳】
世能中よ 道こそ奈希連於も日入る
山のお久尓裳 志可楚鳴く奈留

【内容訳】
この世の中には、悲しみや辛さから逃れる道などないのだなあ。
思いつめたあまりに分け入ったこの山の奥でさえ、
哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくるよ。

【百人一首-84/中】
ながらへば またこの頃や しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

【本文訳】
な可ら遍八 ま多此のこ婁や 斯の者れ無
う志東美四よ曽 今はこ日し起

【内容訳】
これから先も長く生きていれば、
また同じように今の辛さを懐かしく思い出すのだろうか。
辛く苦しいと思っていたかつての日々も、
今となっては恋しく思い出されるのだから。

【百人一首-85/右】
夜もすがら もの思うころは明けやらで
閨のひまさへ つれなかりけり
俊恵法師

【本文訳】
夜毛須可ら もの思布頃磐 明介やら氐
閨能非まさ邊 つれ奈可りけ里

【内容訳】
一晩中、恋しいあの人のつれなさでもの思いに沈むこの頃、
夜がなかなか明けないので、いつまでも明け方の光がもれてこない
寝室の戸の隙間さえも、つれなく無情に思われてくるよ。


久々の百人一首、そして更新になりました^^;
書き初め展の締め切りが終わり、ちょこっと放心状態というか(笑)
提出までに色々ドタバタありまして、ようやく一仕事終えた感で
何となく気の抜けたコーラみたいになってました(笑)
今年は苦手な分野の方に力を入れたので、余計に労力使ったというのもあります^^;
何か、結局こういう事があって猛練習していると
もうそれだけで充分意味のあることだなぁ〜と再確認。
そりゃ〜書き初めに参加する人みんなが入賞とか目標に書いているんだとは思うけど
そして、私もあんまり重要視してないとは言え、出すからには目標を持って、とは思っているけれど
練習の中に身を置いて、ある程度の所まで書いていくと
ホント後の事はどうでもよくなってしまう。
だって、入賞したり表彰されたりする事よりももっと大きな収穫が
その練習の中に隠されているから。
…ハッキリ言って、出したものは実は納得いかないものだったんですが;;
でも、私の中で本当の意味での収穫を体感出来たから、もう完全燃焼なのでした。
そのお陰で、提出が終わった後もしばらく何だか書いていたい気持ちが溢れて
通常の課題やら、小筆やら、そして百人一首やらをずっと書き続けてました(笑)

…百人一首。

…そう!そうでした、前置きが長くなりましたが^^;
今年の一番の目標であった百人一首、もう先が見えてきた〜と楽勝気分でいたら
ハッと気付けばかなりヤバイ状態ではないですか!^^;
やっぱり気を抜いてちゃダメですね^^;
ぼやぼやしていると寸前で目標がこぼれ落ちそうなのでぇ〜
今日からしばらくは続けて百人一首の掲載をしていきたいと思います。


今回は二つが人生の歌、一つが恋の歌ですね。
83の作者は藤原俊成の事で、百人一首の撰者、藤原定家のお父さんです。
山奥で鹿が哀しげに鳴いている感じ、今の季節にピッタリかな〜なんて思いました^^
85の閨(ねや)とは寝室のこと。ひまは板戸の隙間のこと。
恋しい人を想ってなかなか夜が明けず、長〜く感じてしまう気持ち、わかります〜^^*
そして84の歌…すご〜く共感出来ますね。
誰もがみんな今までに何かしら辛い苦しい経験ってあるかと思うんですけれど
その渦中にいる時は本当にこの闇がずっと続くのではないか、
そんな事を思ってしまうんですよね^^;
すこ〜し時間の軸がずれて過去のものになってしまうと
その辛い時期でさえも良い思い出として残っていたりするものです。
だから人って頑張れるんだ、ってそう思います。
今は色んな意味で生きるのが大変な時代ですけれど
夜明けは必ず来る、そして辛かった時期こそが自分に磨きをかけてくれている、
そんなふうに思って乗り切りたいですね。

…いつか「今」を笑って振り返る事が出来る時が、来ると信じて。

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受け入れてくれたひと [臨書/百人一首]

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【百人一首-82】
思ひわび さてもいのちはあるものを
憂きに堪へぬは 涙なりけり
導因法師

【本文訳】
思ひわひ さ氐も命八あるものを
憂幾二多邊ぬは 奈み多なり介里

【内容訳】
つれない人を思い嘆いていても、
絶えてしまうかと思った命は長らえているというのに、
辛さに絶えきれずに流れてくるのは涙だったよ。

今回も恋の歌。辛い恋を詠った歌です。
その心情を察するだけで、哀しくなってきます^^;

自分が生きている間に出逢える人の数はほんの僅かで
そうして出逢った人に恋をするもの奇跡的なくらいですよね。
そしてその恋はいつも成就するとは限らなくて
どんな事をしても、どんなに想っても、気持ちが通じない人もいるわけで…
お互いの想いが重なって同じように想いあえる人というのは
それだけですごい事なんですね。
日常の些細な事で揉めたり傷つけたり…人はそんな事をくり返して来ているけれど
やっぱり自分に起こったはずの奇跡を忘れたくない気がします。
心の片隅にそう思っているだけでほんの少しの揉め事はなくなるかも(笑)
私も若かりし頃は片思いをいっぱい経験しました^^;
自分の想いを受け入れてくれた存在には、改めて感謝したい気持です^^


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信じること [臨書/百人一首]

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【百人一首-80/左】
長からむ 心も知らず黒髪の
乱れて今朝は ものをこそ思へ
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)

【本文訳】
長可ら无 心裳しらす黒髪の
三多れ氐けさ八 物をこ楚おも邊

【内容訳】
あなたは末永く心変わりはしないとおっしゃっいましたが、
どこまでが本心か心をはかりかねて、お逢いしてお別れした今朝は
寝乱れたこの黒髪のように心乱れて、いろいろ物思いにふけってしまうのです。


【百人一首-81/右】
ほととぎす 鳴きつる方をながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

【本文訳】
ほとゝき数 鳴幾つる可多遠奈可むれ盤
たゝ有明の 月そのこ連累

【内容訳】
ホトトギスが鳴いた声の方を眺めると、その姿はなく、
ただ明け方の空に有明の月が淡く空に残っているばかりであった。


今回の左の歌は何とも色っぽい歌ですね〜^^*
相手の気持ちをはかりかねて心乱れる想い、
きっと女性なら誰もが体験した事のある想いなのでは…なんて思いました^^
「その時」に想いが同じでも、もうすでに時間はどんどんと過ぎていて
一瞬にして「その時」は通り過ぎてしまうもの。
そんな過ぎゆく時の中で、気持ちまでもが変わってしまうのでは…と思うのは
ごくごく自然の事なのかも知れません。
それでも結局自分に出来る事は、相手を信じること、それだけなのですよね。
人の心などいくら説明した所でハッキリとした確実な物なんて何もないのだから…
恋愛に限らず、人との関係に於いては
結局のところ「信じること」これに尽きるって気がしています。
それが出来ない人とはきっと、それだけの関係って事なのかもしれませんね^^;

変わって右の歌は、季節はずれですが初夏の歌になっています。
ホトトギスは夏を告げる鳥として有名で、
この歌が詠まれた平安時代でも鶯などと同様に詩的で魅力のある鳥として見られていたようです。
ホトトギスの第一声を聴くのは非常に典雅なこととされていて、
鳴き声を朝一番に聞く為に、夜を明かして待っていた…なんて事もあったとか。
当時の粋なお遊びだったのかも…何だか風流です^^


*****

今日は母の病院の日でした。
母は相変わらずの状態ではありますが、ほんの、ほんの、ほ〜んの少しずつ
改善されている事もあったり、また別の問題が起きたり…その繰り返しです。
以前行っていた病院があまりにも待たされる事と、
父と私が望む様な診察をしてくれないこと、何かを聞いても明確な返答が返って来ないこと、
そんな事がたくさん重なって、ひと月ほど前に病院を変えました。
正直、今の病院も半信半疑で(前の病院の事があったので^^;)
初めはどうせどこも同じだろう、くらいに思って行ったのですが
ここの先生がとても好感の持てる先生で、診察も判断も返答も明確、
細かな気配りもしてくださるし、本当に変えて良かったと今は思っています。
考えてみれば病院やお医者様との出逢いも、人にとっては大きなものですよね〜。
大きくて有名な病院へ行ければいいけれど、結局通うのに不便では続かないし、
父や母の様に高齢になると、遠いってだけでもうすでにかなりの負担。
近い所で名医を探すなんて不可能に近い話。
そんな中、今の先生が名医かどうかはわかりませんが、
今の私達に希望を与えてくださっているのは確かです…大切な希望を。
変な話ですが、この病院に変えてから私は母の病院の日が待ち遠しくさえあります^^
この先生を信じて、頑張っていけそうかな…なんて思えた最近、
何だかちょこっと幸せな気持ちになれるのです❤

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